‘言葉遊び’ カテゴリーのアーカイブ

光と闇

2009年11月1日 日曜日

中二病の代名詞!

光は平等・真実・自己犠牲などをもつ属性で、差別せず事実によって行動し他者を尊重する事を指す。
見方を変えれば、10のためなら1を殺し、殺人犯の子供の名前を公表し、殺人犯に出会えば無抵抗で殺される事ともいえる。
光をテーマにし物語性を出そうとした場合、
・差別をしないが故に特別な存在を作れず、永遠に孤独に生きていくしかない。
・嘘幻妄想であったとしても幸せであった者に真実を直視させ、結果的に破滅を呼ぶ。
・赤の他人すらも自分より尊重するがために、誰よりも報われるべき人物こそが破滅していく。
等といった手法がよく使われる。

闇は差別・虚偽・自己優先などを持つ属性で、選民思想を持ち嘘を吐く事を厭わず他者を蹴落としてでも這い上がろうとする事を指す。
見方を変えれば、1のために10に逆らい、泣く子をあやすために嘘をつき、徴兵されても意地でも生きて帰ろうと努力し続ける事ともいえる。
闇をテーマにし物語性を出そうとした場合、
・世界を滅ぼしうる人物を守るため、世界全てが敵になろうとその人物の味方であり続ける。
・先延ばしになるだけと判っていても、嘘で見繕い破滅から守ろうとする。
・たとえどれだけ絶望的な状況になろうとも決して諦めず、生き残ろうと最後まで努力する。
等といった手法がよく使われる。

で、悪の側に回った光はどう見ても闇にしか見えないところとか
善の側に回った闇はどうみても光にしか見えないところとか
そういうただ見た目(もしくは名前)違うだけって扱いの物語が最近多すぎてつまらないんだけど
どこに行けば光のまま悪やってる人とか、闇のまま善やってる人とか見れますか……

所詮は主観次第

2009年10月29日 木曜日

裁判官が法律ではなく純粋に良い悪いで裁く職業であった場合
裁判官を裁判にかけた場合、その裁判官は裁かれるべきか否か。

何でこんな事を言い出したかと言えば、pixivでそういう話を目にしたから。

オレ解釈をするならば、裁判官こそ一番罪深く、悔悟の棒など浮かせる事すら叶わないと思うのだがどうだろう?
だって主観では全て正しいと思い行動した人であっても裁くわけだし
他人に絶望を与えるとか貶めるって意味では裁判官は並の悪人では追従できないぐらい高みに居ると思う。
そんな裁判官がこの世で最も罪がない? そんなの法というルールの上での話だけだよ。
たとえ裁判官自身がそれを罪に感じどれだけ苦悩していようともその事実は変わらないのだから、やはり一番重い罪を背負っていなきゃおかしい。

と、ここまでが主観。
こんなの視点と比重を変えればいくらでも意味が変わるんだから、論じる意味なんてない話題。
人間はどこまで言っても主観でしか納得できない、厄介な生き物だよね本当に。

タイトルの意味

2009年10月29日 木曜日

対義語と反義語と反意語と反対語と対語。
この全ては大体の場合において同じ意味を持つが、場合により微妙に違う意味を区別するために別単語として区別される。
(例を挙げると、対をなす語句として対語、意味が逆である語句として反対語と言い分ける場合がある)

仮に上記5単語全てに別の意味を与えるとした場合はどういった区切りが考えられるだろうか?
自分が考えると以下のようになる。

  • 対語:
    対を成す語句であり基本的に重複は不可能である物を指す。
    例:左←→右、男←→女
  • 反対語:
    意味が逆である語句で、過程や結果どちらも真逆である物を指す。
    例:成功←→失敗、勝利←→敗北
  • 反意語:
    結果が逆である語句で、基本的に課程は似通っている物を指す。
    例:成功←→失敗、勝利←→敗北
  • 反義語:
    過程が逆である語句で、基本的に結果は似通っている物を指す。
    例:飴←→鞭、和解←→征服
  • 対義語:
    上記のいずれかに該当する語句全てを指す。

これだけでは意味のないいつもの言葉遊びでしかないので、
上記の区分けを踏まえたうえで、このブログ名を決める事にしたのが数時間前の自分。

まずサイト名を”他人の空似”とした理由だが
そもそもの始まりはこのサイトのアイコンでもある他の字画像を気に入っており、それを掲げられるサイト名にしたかった、というだけ。
そこで”他”から始まる単語を幾つか集め、その中より好みの物を選ぶことにした結果
sweetieと名乗っても認知されないという自虐ネタから、雰囲気が近いと感じた”他人の空似”をサイト名とする事になった。

では、上記のような意味を持つ”他人の空似”の裏サイトにふさわしい対義語とはなんだろうか?

まず最初に考えたのは”他人の空似”と自虐ネタの関係性だ。
よく考えてみるとこの自虐ネタは「無関係だと思った誰かと誰かは同一人物であった」という意味であり、”他人の空似”は自虐ネタに対する反意語であると言える。
なので、この裏サイトも込められた意味の反意語である事が望ましい。

次にこの裏サイトと”他人の空似”の関係性を考える。
管理人は同じだが、文章を見せるために書くのが”他人の空似”であり、文章を書くために在るのが裏サイトである。
つまり、自分の主観としては反義語的位置づけとして作った場所になる。

最後に裏サイトに込められた意味とは、同じ管理人による趣向が違う別ブログである。

ここまでをまとめると
・”他人の空似”という語句に対するの反義語
・”同じ管理人による趣向が違う別ブログ”に対する反意語
である語句がふさわしいと言える。

”他人の空似”という語句の意味自体は
「誰かと誰かを同一人物であると思ったが無関係であった」
であるから
「誰かと誰かを同一人物に思った」が過程であり
「無関係であった」が結果だといえる。

「同じ管理人による趣向が違う別ブログ」は多少強引だが
「同じ管理人」が結果であり
「趣向が違う別ブログ」は過程であると言える。

二つをあわせると、
「無関係に見える誰かと誰か」「無関係であった」
「別の管理人」「趣向が違う別ブログ」
となる。

上記の意味ときわめて近く、また”他”アイコンを使えるサイトという観点で語句を探した結果
このサイトは”赤の他人”という意味に決まった。

こんだけ無意味に複雑な事考えた挙句、こんなに意味がない名前になるサイトはあまりないと思う。
そういう意味では”赤の他人”は素晴らしいな。